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2005年 03月 12日
(朝の漁師さん) さてさて、東ティモールにはめちゃくちゃな数の言語が存在します。 なんでも地域や部族によって言葉が違うので、無数の現地語があるそうです。 一応国家指定の公用語はテトムというティモール語(でも皆が話せるわけでは ない)とポルトガル語(殆ど誰も話せない)です。 さらに実は一番共通語として浸透しているけど、政府は決して公用語として 許さないインドネシア語があります。 (この他デファクト政府のPKF、国連機関等は英語を使います。) これはポルトガル400年の植民地→(日本による3年の侵略)→インドネシアに よる24年の侵略、という歴史によります。 みんな顔はアジア人なのに苗字や名前がポルトガル系で、パスポートもポルト ガル、インドネシア、東ティモールと3冊持っていたりします(どれも有効)。 私と同世代はだいたい学校教育はインドネシア語だったので、インドネシア語は 母国語です。 ところが国が独立した時に、近所の2大国から距離を取るという意味もあり、英語 でもインドネシア語でもないポルトガル語が公用語になりました。 さらにインドネシア侵略時代にポルやモザンビーク等に逃亡していた国の リーダー達がが、独立とともにティモールに戻り、政府主要ポストに就いた ことも、大きいです。(彼らはインドネシア語はできず、ポル語が母国語。) かくして国民の殆どが知らないというポル語が人工的に公用語となったわけです。 ということで、教科書ひとつ作るにも、公務員の訓練するのだって、 何語でするか、が問題になります。 政府トップは「ポル語で」とごり押ししてきますので、援助機関も クライアント様である政府には口答えでず、ポル語促進に加担していきます。 私も最初は「なんと無茶な」と思ったわけですが、最近では「なるほど、 国境も言葉も結局とっても人工的なもんなんだなぁ」と理解するに至りました。 まぁ日本のアジア侵略の時の例でもそうですが、国民心情とは別に、人工国家 共通語設定は可能なんですね。 今ではUNDPの「刑務所服役者の職業訓練」プログラムの中でさえ、 「ポルトガル語コース」ってのがあるくらいですから、すごいです。もう国力総動 のキャタピラー式のポル語促進状態です。 援助機関ものきなみ、派遣してくる人材をインドネシア語ができるアジアスクール から、ポル語ができるラ米スクールにシフトしている観があります。 その方が政府受けがいい訳です。 (政府受けを気にせずにはいられないところが、所詮ODAの限界です。 言語に限らず・・・)。 ちなみにスペイン語とポル語はよく似ていますが、ポル語のほうが響きが 甘ったるい気がします。 スペイン語では「さしすせそ」と発音するところが「シャ・シュ・ショ・ ショオ」となり、「お元気ですか?」が「お元気でしゅか?」となり、 どうも「バカにしてるんでしゅか?」 って気分になり、私は照れてしまって上手く切り替えられません。 っていうか、私英語はやくなんとかしないと、そろそろ本当にまずいんです。 がんばりましゅ。 (糸巻きをする女性)
by nomadm
| 2005-03-12 12:01
| 東ティモール
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