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2006年 05月 28日
UNDPの同僚達もついにオーストラリア、ダーウィンへEvacuationとなりました。
東ティモールにいた頃は何回かEvacuation避難訓練をさせられ、その度に集合場所に遅れて着いた私は、「緊急避難飛行機に完璧に乗り遅れてます。これが本当だったら今頃一人空港に取り残されてます。」などと怒られていましたが、心のどこかで「本当にEvacuationなんてもう東ティモールで有り得ない」という呑気さがありました。 まさか、という気持ちのほうがまだ強いですね。 同僚達も「1週間でまた戻るから」と言っていますが、そうも思えない様子。 ちょうど今は独立後初めて、国連ではなく政府によって行われる総選挙の準備が進められている時。政治的緊迫は十分想像していましたが、こんなに簡単にここまでエスカレートしたのは残念なのと同時に、やはり急ぎすぎたポストコンフリクトの和解・国づくりのプロセスが頭をよぎります。総選挙はやはり延期なのでしょうか。もしかしたら政府はそれを望んでいたのでは、という気もします。 東ティモールで印象に残るのが、(ポストコンフリクト国というのはどこもそうなのかもしれませんが東ティモールは小さいので特に)、「政府」と「International Cooperation」の距離が驚くほど狭かったこと。政府にも外国人アドバイザーが入り込み、政府の意向・動向が手に取るように分かります。そんな中で「それはちょっと・・・」と思うようなことを政府側に発見しても、international cooperationは、遠慮して目をつぶることが多かった気がします。そーいうことの積み重ねが、今回の暴動を防げなかった遠因にもあるような気もします。 短かったとはいえUNDPのガバナンス部に席を置きながら、忙しさを言い訳に丁寧な仕事をしなかったことを反省したりします。自分程度に何ができる、と思わずに一人一人が毎日きちんと判断して、意見を伝えていくのは、どこの社会でも大事なんじゃないかと思います。だからこそ今回は小さなことでも最善と思う判断を日々しながら仕事がしたいと思いつつ・・・。 ↓東ティモールの今回のViolenceに関する背景と考察が読めます。 http://asap.ap.org/stories/610070.s
by nomadm
| 2006-05-28 02:50
| 東ティモール
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